200408 生産技術エンジニアの海外駐在生活 ~その1~

※このテーマで数回に分けて駐在員時代の生活について紹介します。
当時、私が勤めていたモーレツ会社を簡単に紹介すると「ケチなブラック企業」でした。私はアメリカ国境沿いのメキシコ工場で勤務していました。参考になるかわかりませんが、生産技術エンジニアが海外駐在でどういう生活をしていたのかイメージできればと考えています。

海外駐在員の1週間のサイクル

私が勤務していた工場での勤務時間は、いくつかあって一般社員であれば7時~16時、8時~17時などの勤務でした。スタッフによっては18時頃まで残るものもいましたが、ほとんどの現地人は16時、17時でいなくなります。デスクのパソコンはつけたままです。駐在員と日本からの出張者が19時か20時頃まで残っていました。遅いときはもっと遅くまで残っています。

私は数年勤めていましたが、朝6時半に出社して夕方18時か19時には帰宅していました。駐在員や日本人出張者は誰も帰ろうとしないので、私が先陣を切って帰宅していました。朝も早めに出社していましたが、帰宅も他のメンバーよりは早く帰宅していました。
帰宅後は少しメール処理をする程度の仕事です。現場で問題があれば、時間によらず再度会社に行くことも何度もありました。 週末は土日のどちらかは半日程度をめどに出社していました。
後は自宅で朝夜にメール処理をするくらいです。(土日に入るメールはほとんどありませんでしたが・・・) そんな生活をしていて、週末の残り1.5日で家事や買い物などを終わらし、残りの時間を余暇にあてていました。


日曜夕方に入る日本との打ち合わせ

時差の関係で北米の日曜夕方が日本時間の月曜朝です。
よくあることですが、日本本社勤務の人間は自分たちの都合で勝手に打ち合わせを設定してきます。駐在員の都合など気にする人間は少数です。日本時間の月曜朝であれば、北米勤務の人間は日曜の夕方です。嫌がらせとしか思えないような案内でした。私はほとんどの場合、不参加としていました。 どうしても日本勤務の部長職の人物の都合が悪いときだけ、日曜夕方に会社に行って電話会議をしていました。


定期的に駐在員が対応する役員の送迎

たまに本社役員や部長職の訪問があって、よく駐在員の誰かが空港まで迎えに行っていました。
彼らはたいてい日曜移動で来るので、日曜に誰かが送迎しなくてはなりません。ここまで聞くと、たいした手間に思えないかもしれませんが、これが結構な手間でした。

私が住んでいたのはメキシコ側で、彼らはアメリカの空港に到着します。毎回国境を越えて空港まで迎えに行くのですが、国境が混むため片道30分の距離でも1.5~2時間くらいはかかります。時間に遅れるわけにはいかにないので、だいぶ時間に余裕を持っていきます。
飛行機の到着遅れがあれば、その分空港で待ちぼうけです。

アメリカからメキシコに入国するときは入国手続きがあるので、国境で手続きをしなくてはなりません。すべてスペイン語での対応です(私は勉強したおかげで、たまたま対応できる語学力がありましたが、他の駐在員は全くダメでした)。その後、会社近くのホテルまで送迎して終わりです。場合によっては夕食の相手もあります。

ということで、ちょっとしたお使いを依頼されると、ほぼ一日潰れます。 会社には総務管轄の運転手がいましたが、基本的には平日しか働きません。会社の総務がもっと機能していればよかったのですが、ブラック企業だったので私のような駐在員がこき使われました。いっそのことタクシーでも契約しておいて、タクシーを利用して来てもらった方がありがたいくらいでした。

上述したような日本との打ち合わせがあったり、役員の送迎があったりと、駐在生活で日曜午後がつぶれることはよくありました。


(つづく)

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