220628 正社員の高待遇を感じる出来事
最近、古い友人と話をする機会がありました。つくづく「日本の正社員という身分は高待遇を受けているんだな」という印象を受ける出来事があったので紹介します。
私の友人は地方の工場(A社とします)に勤務しています。従業員の数は400名程度の規模の工場です。そこに数十名ほどの採用があったと言うのです。人員採用など過去数年間ほとんどなかったにも関わらず、今年に限って全従業員の1割程度の人員の採用があったのです。事業が拡大しているわけでもなく、慢性的に残業対応しているわけでもありません。この背景は、近隣の企業(B社とします)の事業縮小による人員削減の受け入れのようです。
B社は日本国内に複数の工場を持つ会社で、地方の工場1つを縮小することが決定しました。事業縮小には人材整理が伴います。通常ならリストラですが、B社経営陣は従業員に対していくつかオプションを提供したようです。
オプション1)同地域にある3社(A社、C社、D社)に転職
※A社、C社、D社は同一県内にある完全な別会社で、B社の経営陣が従業員の転職先確保に動いたのです。
オプション2)B社の別拠点に異動
友人の話によるとB社の従業員のほとんどが地元の別企業に転職することになるそうです。やはり地元を優先して選択肢を決めたようです。
この出来事を聞いて私の印象は下記の3点でした。
1.B社の経営陣は従業員の転職先を確保したことは立派だと思います。
会社によっては従業員の転職先まで確保してくれることは少ないでしょう。
2.A社、C社、D社が、従業員の受け入れ協力したことはたいへん立派だと思います。
どこの会社も苦しい経営状態であることが想像できるので、従業員を簡単に増やすことはできません。
3.正社員の待遇は恵まれすぎているのではないか?
3.について少し掘り下げてみます。
たまたまB社の従業員であったという事実だけで、他社に採用されるのは雇用機会の公平性が損なわれているように思えるのです。
解雇や倒産、パワハラ、うつ病、子育て、介護、就職失敗などの理由で失業中の人達や非正規雇用として勤務している人たちは、「正社員」として雇用されるためには大きな採用ハードルをクリアしなければなりません。
たまたま同じ県内の勤めていた正社員というだけで、市場にいる求職者たちよりも優遇するのは差別に思えるのです。
もう少し状況を整理して、保護の対象となるべき人達とそうすべきでない人達の2つに分けて考えます。
まず、生産ラインの労働者階級に対しては雇用先を確保すべきだと思います。彼らは労働力を提供しているので、簡単に同待遇の勤め先が見つかるわけではありません。仕事がなくなったからといって簡単に解雇すればいいというものではありません。
一方で、ホワイトカラーと呼ばれる社員は、労働力ではなく、スキルや仕事の成果で評価されるべき人達です。果たして、彼らの新しい勤め先まで会社が面倒を見る必要があるのでしょうか?
というのも、彼らは仕事を通して職業訓練を受けてきた人達です。単純労働とは違って、業務を通して職業訓練を受けています。本来ならば、労働市場で適正な評価を受けるべき対象と考えてよいのではないでしょうか。
頼るべきは自分の専門性であって、勤め先の経営陣による職業斡旋ではないはずです。悪い言い方をすれば、官僚の天下りに似ている部分があるように見えるのです。会社の倒産により職業を失ったとしても、本来であれば各個人が労働市場で雇用を勝ち取るべきなのではないでしょうか。もし、本人に市場価値がないというのなら、それまでの就業人生は何だったのかという話になります。
コロナの初期段階でも同じような事例はありました。航空会社の休業対象となった社員を他企業が受け入れるという出向扱いです。労働市場にいる失業者や休職者を無視して、一般企業の休業社員を受け入れるのは雇用機会の差別ではないでしょうか?
「正社員」という身分だけで、労働市場で優遇されるのは変だと思うのです。コロナ不況で就職先に恵まれなかった学生や就職できなかった学生もいます。
非正規社員の比率は4割と言われています。景気の良かった時代に就職できた「正社員(特に大企業の)」だけ優遇されるのは変だと思うのです。
提案は、強引な雇用維持や正社員優遇ではなく、社会人の再教育できる仕組み作りです。終身雇用で会社にしがみつくのではなく、学びなおして、実力を高めて、雇用機会を切り開く補助を社会がするべきだと思うのです。
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