220227 書籍「明日の幸せを科学する」

最近読んだ本(明日の幸せを科学する)の紹介です。
「幸せ」とは、便利な単語ですが、この単語が科学的に説明するのは難しい。人間が感じる「幸せ」について科学的、実験的に解説しています。知覚と想像についての理解を深めると、ほんの少しですが現実や将来に対してポジティブに考えるヒントが見つかります。いくつか引用して紹介します。

他人から不幸に見える人が実は「幸せ」だったという話

他人からは幸せに見える億万長者が実は不幸だったり、他人から不幸に思える冤罪被害者が実は幸せを感じます。 本人に同じような経験がない場合、人間は過去の情報をもとに状況を想像する。詳細を検討することもなく、目を離したすきに脳が作りだした細部を疑うことなく、それをもとに自分ならどう感じるかを予測する。問題はその状況にいる本人たちの感じ方が万人の予想と一致しないことだ。

自分が実際にその状況を経験して初めて、当人の気持ちを理解します。ほとんどの場合が「想像と違った」はずです。だれでも同じような経験があるはずです。有名人や富裕層が事件を起こしたりするのも同じ理屈に思えます。 「幸せ」とは本人しか判断できないようです。
効果低減の要素も影響します。最初は幸せだったが、徐々にその幸せを実感できなくなります。 こんな表現もあります。
「すばらしい出来事は、最初に起こったときが特別すばらしく、繰り返し起こるにつれてすばらしさが薄れてしまう」

予想と感情

幸せな未来を想像すると幸せな気分になれるが、厄介な影響をおよぼす。人はある出来事を簡単に想像できると、その出来事が実際に起こる確率を過大に見積もるという研究結果がある。われわれはたいてい、いいことが起こる確率を高く見積もりがちで、非現実的なほど未来を楽観してしまう。

現実的な事例を挙げると、好き同士で結婚したのに離婚する人がいるのも、せっかく苦労して就職したのに転職するのも、この事情を説明してい ます。想像力は前頭葉という脳の部分を持つ人間だけの特徴のようですが、どうも我々の想像力は楽観的で都合の良い未来を想像しがちなようです。この想像力の精度を高めるには経験のみで、上述した「幸せの実感方法」と類似点があります。

人間の脳は細部を補うために記憶で補完する

通行人に質問しているときに、途中で相手が別人に替わってもほとんどの人が気づかいないという実験結果があります。相手の顔を注視していれば変化に気づきますが、他のことに注目している場合、変化を知覚するために記憶に頼らざるをえなくなる。つまり、現在の経験と過去の経験の記憶とを比較するしかなくなる。
「想像力」がトリックを仕掛けてきて、無意識のうちに我々はそのトリックを都合よく解釈しているのです。この記憶と知覚の欠点(過去を誤って記憶させたり現在を誤って知覚させたりする欠点)こそ、未来を誤って想像させる欠点そのものだ。目と脳は共謀者であり、他の共謀と同じように、目と脳の共謀もわれわれが自覚しないうちに秘密裏に交渉がおこなわれている。われわれは、現在の経験について明るい見方をみずから作りだしているとは思っていないため、未来にも同じことをするだろうとは思わない。

脳が保管してくれた細部は、想像時点では出現しません。現実的に経験するときになって細部を認識するため、「想定していなかった部分」を初めて認識します。想像力の欠点を理解しておかないと、便利さの弊害(未来を過大評価)を受けてしまいます。
繰り返しますが、想像には限界があるということを理解しておけば、「とりあえず試してみる」が最も正しく状況を理解する方法に思えます。 とはいえ、人生では失敗できない選択を迫られるときもあります。そんなときは小さく試してみることです。

現在バイアスの話

現実の今をつらいと感じることで、想像の未来を楽しいと感じることはできない。ところがわれわれは、未来の出来事を思い浮かべたときに感じる不幸せが現実第一主義からくる避けられない結果だと気づかず、その出来事のせいで不幸せに感じるのだと思いこんでしまう。 未来について予測をするのは現在であるため、予測はいやおうなしに現在の影響を受ける。今の感じ方や考え方によって、のちのちどう感じるかという予想が左右される。時間はとてもとらえにくい概念なので、われわれはひねりを加えた現在を未来像として想像してしまう。

「満腹の人が食料品を買い行くと、少なめに買ってしまう」という話はよくありますが、現在***だからという事実が、将来の判断に影響を及ぼします。 これを利用して、大きな決断をするときは楽しい心理状態のときに決断する。 逆に、疲労や心理的ストレスがある状態のときには、大きな決断を避ける方が賢明のようです。

心理的免疫システムの話

ほとんどの人は心的外傷に対して驚くほどの回復力を持っている。つらい出来事はたしかにわれわれに影響をおよぼすが、その影響力は考えているほど大きくないし、長くもつづかない。われわれには「心理的免疫システム」があり、「身体の免疫システム」が病気から体を守るのと似たしくみで、不幸から心を守っていると考えてはどうだろう。この比喩はきわめて妥当だ。

親族を失ったり、取り返しのつかない健康上の問題を背負っても、1年ほどたてば幸福感を感じられるようになるようです。絶望状態が継続するのは極めてまれで、我々の知覚は環境に順応する能力を備えています。絶望するような経験をした人にとっては経験的に理解しやすいかもしれません。
大学入試に落ちた、リストラされた、離婚した、就職した会社がブラック企業だった、、、、その瞬間は大きな悲しみの絶頂かもしれません。それでも時間の経過とともに楽観できるようになるはずです。
人間には素晴らしい適応力、免疫力があるのです。

他人の経験よりも自分の想像力を優先してしまう

あなたの想像より、無作為に選んだたったひとりの経験のほうが、あなたの未来の出来事を予測するのにふさわしい基準になる場合がある。この単純な方法の鮮やかな力を知れば、だれもが努めてこの方法を使うと考えていいはずだ。ところがそうではない。 代理体験が未来の感情を予測する手軽で効果的な加方法であるにもかかわらず、われわれは、いかに自分たちがみんな似ているか気づかないため、皮肉なことにこの頼りになる方法を却下する。そして、どんなに欠点があり、どんなに誤りを犯しやすいとしても、自分の想像に頼るのだ。

想像力には限界があるため、他人の経験を参考にするほうが物事がうまくいく可能性が高い。普通に考えれば合理的な話に聞こえます。ところが、誰でも「自分は特別だ」という錯覚をもっているせいで、他人の経験ではなく自分の想像を信じ、自ら誤った行動をとってしまうという何とも皮肉です。だれでも心当たりがあるのではないでしょうか?上述した就職や結婚の事例でも同じ理屈に思えます。

大切なのは富ではなく効用

富はドルを数えることで測定できるかもしれないが、大事なのは効用だ。われわれは、お金や昇進やビーチでの休暇そのものには興味がない。興味があるのは、こうした形態の富がもたらす満足や喜びだ。賢い選択とは、喜びを最大にする選択であり、ドルを最大にする選択ではない。 ものの価値は、その値段ではなく、そのものが与える効用をもとに決定しなければならない。ものの値段は、そのもの自体に左右されるだけで、だれにとっても同じだ。しかし効用は、予測をしている人の個別の状況に左右される。

お金とは便利な尺度ですが、「価値」を測る尺度は人それぞれです。結局のところ「幸せ」とは個人の判断基準でしか測れないのです。世の中には紛らわしい情報(他人の尺度)があふれているために、他人の尺度で物事を相対的に判断してしまう事例が多いように思えます。けれでも、他人の尺度で物事を判断する限り「幸せ」にはなれません。



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